私はとにかくスルースキル能力が低く、低いことにも気づかずに生きていました。しかしぼちぼちな年数生きてくると、スルースキルなしに生きるのはしんどいなと思うようになりました。今回はそんな私の成長記録です。
HSP気質なので誰かに何かを言われたり、何かをされた時に必要以上に強く深く受け取ってしまいがちな私は、小さい頃からずーっと悩んできました。なんでこんなこと言われないといけないんだろう、なんでこんな考え方するんだろう、なんでこんなことされないといけないんだろう。
また「人に迷惑をかけない」「人に対してはこうあるべき、こうすべき」と真面目な両親に育てられたので、自分にも相手にも厳しい視点を持っていました。学校や公共の場で迷惑行為をする人に酷い嫌悪感を抱くこともたびたびあり、とても生きづらかったです。
自分は人に迷惑をかけないように生きているのに、他人に迷惑をかける人はどういう神経をしているんだろう?と本気で思っていました。笑
しかし、ある時気付いたことがあります。
私の感じる迷惑と、誰かの感じる迷惑は違う。私の感じる「うるさい」と、誰かの感じる「うるさい」は違うんだと。別物なんだと。私の常識も、私の認識している世間一般常識も、本当は私の生まれ育った環境によって作られたものなんじゃないかと。
生まれた場所、家族構成、住むところ、学校、担任の先生、友達、この世の中でみんな同じ環境で生まれ育ったわけじゃないからこそ、人それぞれの感性や性格がある。
「私のあり得ない」は「誰かの有り得る」であり、逆もまた然り。気になるところ、気にならないところ、好きなところ、嫌いなところも千差万別。受け取り方は十人十色。
そう思うようになってから、「え!この人の考えあり得ないんですけど!」「それはおかしいでしょ!」と思わなくなってきました。(もちろん、倫理的なところや犯罪は除く)
「私はこう思うけれど、この人はこう思うんだな。こういう考え方があるんだな」と、自分と相手のありのままを受け入れられるようになってきました。
今まではいちいち心の中で突っかかったり、否定したり、引いたりしていたけれど、もうそんな反応をとる必要もありません。予想外の返しが来ても、ひろゆきさん方式(それってあなたの感想ですよね)で、自分と相手を切り離して認識できるようになってきました。(まだ、え!ありえん!と思うこともあったりすることもあるけれど)
そうやって自分のことも相手のことも尊重できるようになると、ずいぶん楽になりました。
また、気持ちで受け流すことができない時は物理的な距離をとることも学びました。これは流石に真正面から理解したり受け入れたりしようとしたら、体力も労力も持って行かれてしまうな…というシチュエーションの時は、自分の心の平和を優先!目の前の人全員と分かり合えないこともきっとある。それはそれで良い。別の世界で生きていこ!笑
自分の考えを相手に強要することは、なんかめっちゃ許容範囲狭いみたいで、自分の世界が小さいみたいでなんか悔しい。笑
時には主張することも必要だし、別の意見も「そういう考えもあるんだ!面白い!」と思えたら、きっと自分の世界が広がる。自分が世界や人類の基準ではないけれど、自分の感性や軸は大切にしていたい。自分と違う考え、感性、意見を持つ人の気持ちを楽しめる人でいたい。
それぞれがそう思えたら、きっと楽しいコミュニケーションができるんだろうなと思いました。
だからモノは多くてもいいし、少なくてもいい。ミニマリストもマキシマリストもいい、人それぞれ。結局ここにも繋がってきます。
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